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安藤 正次(あんどう まさつぐ、永禄8年(1565年) - 元和元年11月12日(1615年6月15日))は、江戸時代初期の旗本。三河安藤氏の分家の阿久和安藤氏。始祖の安藤定次の子。次右衛門尉。子に安藤正珍、安藤正頼。禄高2000石。 == 経歴 == 父が慶長5年(1600年)伏見城の戦いで戦死し家督を継ぐ。元和元年大坂夏之陣に徳川秀忠に属し御旗奉行を務める。5月7日大坂城落城の直前に秀忠の使者として前田利常および本多康紀両軍に敵陣への攻撃を伝えた。しかし、その時に数騎の敵と遭遇し単身で戦い敵方の首級を挙げたが自らも深傷を負って家臣に助けられ本陣に戻り、秀忠から高名したと賞賛された。宿所の平野郷願正寺にて傷の療養をしていたが、再起不能と悟って19日自刃した。享年51。法名は浄徳院釈了栄。墓所は大阪市平野区の樋尻口地蔵堂向かいにある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安藤正次 (旗本)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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